誰もが知るスター選手たち。その華々しい活躍の裏側には、私たちが想像もできないような葛藤や挫折が隠されていることをご存じでしょうか?イチロー、落合博満、山本由伸など、“天才”と称される彼らも、栄光を手にするまでには数々の試練と向き合ってきました。本記事では、そんな天才たちの人生を変えた10の知られざる瞬間に迫ります。
1、ドラフトで完全スルーされた山本由伸は、 高校生の頃から「九州四天王」の一人として注目されていた。
しかし3年春に「山本は足をケガしたから、 社会人に行くらしい」という噂が流れた。 山本自身もプロ志望届を出さず、社会人野球に進もうと考えていた。 他球団が山本獲得から手を引く中、オリックスの山口和男スカウトだけは、 山本の獲得に本腰を入れた。 山口は球団に「ケガは大したことない、絶対指名するべき素材」と訴え続けた。 これに本部長が宮崎へ向けて視察の準備をしたが、 山口は「ウチが狙っていると他球団に伝わってしまう、 間違いない選手ですから信じてください」と球団幹部を説き伏せた。 山本と話を進めていた社会人チームには、山口と親しい間柄だった関係者がいた。 山本から社会人チームに正式に断りの連絡が入ると、 社会人チーム側から連絡をもらい、山口は宮崎に足を運んだ。 縁と決断が重なった結果、4位指名を敢行し、「オリックスの山本由伸」は誕生した。 山本は19年オフ、背番号を「43」から「18」に変更した。 「18」はかつて山口が背負っていた番号だった。 これも”不思議な縁”の一つと言えるだろう。

2、
「筆おろししてこい」 と野村監督に突然金を 渡された
井川慶は 阪神入団時に 好きな球団を聞かれ 「鹿島アントラーズです」 と答えた
初めての球宴で 一人はちうで 壁当てをしていると
見かねたヤクルト藤井秀悟が キャッチボールをしてくれた
年俸1億円に到達しても キャンプ時には 3万しか持っていかず 移動は常に電車だった
球団から支給されたその グリーン車の切符を ひかりの自由席の切符に変えて
差額を貯金していた 連勝中は髪を切らない と言っていたら12連勝してしまい
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