1980年代――日本プロ野球が最も“熱かった”時代。今のようにデータやSNSが発達していない時代だからこそ、選手たちの存在感とオーラは異次元でした。テレビ越しでも伝わる圧倒的なスター性、そして記憶に残るプレーの数々。今回は、そんな時代を象徴する“本物のスター”を3人ご紹介します。
1.片平晋作──“王のモノマネ”から“片平の一本足”へ 巨人・王貞治の“一本足打法”に憧れて始まったフォームは、やがて「片平の一本足」へと進化していった。
南海、西武、大洋と渡り歩いた中距離打者・片平晋作の18年のプロ野球人生は、まさに一本足と共にあった。 高校時代に王のフォームを真似たのが原点。1972年、東農大からドラフト4位で南海に入団し、79年に初の規定打席で打率.329を記録。80年には21本塁打を放つが、まだフォームには無駄も多かった。 転機は82年、西武への移籍。廣岡監督のもとで一塁のレギュラーとなり、日本シリーズでは勝負を決める一発を放つなど、日本一に貢献。83年にはダイヤモンド・グラブ賞も受賞。以後は指名打者としても活躍し、“柔らかく、自然体”の完成形を見せた。 大洋に移籍した晩年もなお進化は止まらず、セ・パ両リーグにまたがる3年連続開幕戦本塁打を達成。39歳でコーチ兼任となった89年にユニフォームを脱いだが、その一本足には、王の影を脱ぎ捨てた片平だけの美学が宿っていた。
2.加藤伸一は、“ガラスの鉄腕”という矛盾した異名を持つ異色の右腕投手。肩やヒジを何度も痛めながらも、21年間プロのマウンドに立ち続けたタフネスの持ち主だ。高校時代は2試合しか公式戦登板がなかったが、“元気すぎる”ことで逆に注目を集め、1984年に南海からドラフト1位指名を受けてプロ入り。 1年目から即戦力として活躍し、2年目には“19歳トリオ”として球宴にも出場。体の開きを逆手に取ったシュートを武器に、本格派のスタイルで打者を内角から攻め立てた。一方でチームの低迷や不安定な起用法もあり、南海時代は負け越しが続いた。
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