華やかな記録と個性がぶつかり合っていた昭和プロ野球の時代。そこには、今なお語り継がれる名選手たちが数多く存在しました。しかし、時代の流れとともにその多くが忘れられつつあるのも事実です。なぜ今、その名選手たちが再び注目を集めているのか?本記事では、昭和を象徴する10人の野球人生に迫り、その“埋もれた伝説”の真価をひも解いていきます。
1、ジャイアント馬場さんは生前
「自分は野球では成功しなかったから」と野球選手へのリスペクトを持ち続け
巨人のOB戦に行くのをとても楽しみにしていた。
プロレスでは並ぶもののない存在でも
野球では懐かしい先輩たちがいるから。
千葉茂さんに「おーい、馬場ぁ!」と声をかけられたら大喜びで飛んでって
あのでっかい体で抱きついたんだとか。
ちなみにONの2人がプロ入りした時
最初にキャッチボールの相手を務めたのは当時投手の馬場さんだった。

2、森祇晶(巨人)
・現役時代は正捕手として巨人のV9を陰ながら支え「V9の頭脳」と称された。
・監督としては、1986年から1994年まで在籍していた西武では在任9年でリーグ優勝8回、日本一6回を果たした名称である。

3、
堀内恒夫(読売ジャイアンツ)
・日本初のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。
・1年目はデビューから13連勝を含む16勝や、44回連続無失点(新人記録)を記録するなど最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、新人王のタイトルを獲得する。ちなみにこの年記録した勝率.889はセ・リーグ記録である。
・2年目には広島戦でノーヒットノーランを達成。この試合では投手史上初の3打席連続本塁打を記録している。
・7年目の1972年には、江夏豊との通算99勝対決を制し、通算100勝を達成。
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